好きなことだけたくさん

※当ブログは、不明確な出典、曖昧な記憶、ただのパッションに基づいて作成されています。

とあるアイドルに激重感情を持つ私の話

 

ある日突然、永遠にそこにあると思っていたものが無くなろうとしている。

 

そんなことが起こった時、人が出来ることというのは少ない。

 

出来ることと言えば、悲しんだり、憤ったり、ツイッターに戸惑いを書き連ねたり、ベッドのすみっこでひたすらに白い壁を眺めたり、現実逃避にマリオカートをアホほどプレイしたり、そのぐらいだ。(※当社比)

来るな来るなと思っているうちに、あっという間にその日がやってきて、私は彼らの最後の瞬間を見つめていた。

2016年12月26日の最終回、最後の瞬間を、私は今でも脳裏に思い浮かべることが出来る。時間が止まって欲しいと思った。誰かがドッキリ大成功の札を持って駆けて来るのを期待した。でも結局時間が止まることも、何が起こることもなく、最後の瞬間が終わった。録画したその番組は、今でも化石のようにハードディスクの中に眠り、一度だって見返したことはない。

 

私の人生において、とんでもなく大きな比重を持つアイドルグループ。

彼らは解散した。

 

 

初めて彼らのライブを見に行った日を私は今でも鮮明に思い出せる。

もともと母親がそのグループが大好きだったこともあり、小学生の私はそんな母親のおこぼれをもらってライブに来ていた。生まれて初めて参加したライブだった。

衣装を来て、花道を歩きながらメインステージで向かう彼らを見るや否や、会場には割れんばかりの歓声が響き渡る。私は初めての体験にすっかり圧倒されて、どうやって歓声をあげたらいいか、どうやってペンライトを振ったらいいかもわからずまごつき、ただ視線だけは彼らがいるステージに釘付けだった。

広い会場だ。ステージにいる彼らなんて豆粒ほどの大きさでしかない。二階席のステージからは遠い席だった私からは、目を凝らしたって彼らの表情を確認することも難しい。それでも、私はただ彼らを見つめた。大好きな彼の踊る姿を目に焼き付けようとひたすらに目を見開き、一挙動も見逃すまいと呼吸すら潜めた。

生きてる。そう思った。

彼らは生きてる。テレビの向こうで見ていた、彼らが生きている。

生きて、踊って、歌って、会場にいる私たちに向けて手を振る。

生きてる。彼らは生きている。

そんな当たり前のことが、私にとってはとんでもない衝撃で、圧倒的なまでの真実だった。彼らが日々の生活を送る一人の人間であったことは、当たり前のこととしてわかっていたはずなのに、その日ステージで彼らの姿を肉眼で見るまで、テレビの向こうにいる彼らはあくまでテレビの向こうのフィクションだった。それが打ち砕かれたのだ。

曲と曲の合間、ほんの少しだけステージが沈黙する瞬間、誰かがメンバーの名前を叫んだ。それに弾かれるようにして、私も私の大好きな彼の名前を叫んだ。

 

生まれて初めて、好きな人の名前を大声で叫んだ。

 

思えば彼らの曲と共に生きて来た人生だったように思う。

小さい頃は姉のCDプレイヤーを秘密裏に借りて(普通に借りると貸してもらえないので)、子供部屋で地べたに座りながら何度も彼らの歌のCDを聞いたし、毎週欠かさずバラエティで彼らの姿を見て、その話を学校で友達と話した。

いろんな人のブログを読んで、掲示板(その頃はネット掲示板全盛期だ)で彼らの魅力について語り合った。

中学でどうしようもなく辛いことがあった時もウォークマンに入れた彼らの曲を繰り返し聞いて、ライブを見た。

大学受験の時は、予備校に通う道筋は彼らの曲と共にあったし、受験日当日も、彼らの曲を聴きながら会場へと向かった。もちろん帰り道も。

彼らの曲ばかりを聞いていた訳ではない。その頃大切にしていた長方形のウォークマンには色々なアーティストの曲が入っていて、もちろん普段は違うアーティストの曲を聞いたりしていたし、毎日彼らの曲を聞いていた訳じゃない。

ただ、どうしようもなく落ち込んだ時、動けなくなりそうなほど緊張した時、彼らの曲を聞いた。聞くと、止まりそうになった足がまた前に進んでくれた。

ライブには毎回行って、やっぱり豆粒ほどの大きさの彼らを目を凝らして眺めた。もちろんその時にはオペラグラスというものがあるのは知っていたし、マイオペラグラスを持ち歩いてはいたけれど、オペラグラスを目にあてる時間すら惜しくてライブの時はほとんど使わなかったのを覚えている。

そういえば一度だけ、トロッコに乗って私のいわゆる”推し”が目の前まで来たことを覚えている。私の方を見て(というより、私の周辺全体を眺めて)彼が笑って手を振った。私は夢中で手を振った。別に本当に私を見ているかなんてどうでもよかった。ただ、彼の微笑みを、彼の姿を、間近に見られたその瞬間は、私にとって何にも変えがたい瞬間だったと思う。

彼が生きて、歌って、踊って、トークをして、流れた汗を拭って、ボトルの水を飲んでる。それだけで十分だ。

それだけで十分だったのだ。

それだけで十分だったのに。

 

多分、”それだけで十分だった”と思うことそれ自体が傲慢だったのだろうと思う。”それだけ”という言葉で言い表すのは適切ではない。その下敷きにある彼らの努力、あるいは決意、葛藤、切り捨てたもの、死に物狂いで守り続けたもの、それらに思いを馳せる時、私はもう”それだけで十分だった”なんて言えることはできなくなっていた。

それだけ、なんかじゃなかった。それこそが、私を生かした。

 

でも、彼らは解散した。

解散後、私は努めて彼らの話題を避けた。彼らを語ったりする専用に作っていたツイッターのアカウントを消し、テレビはニュース以外をあまり見ないようになって、ため息をつきたくなるような週刊誌やネットニュースの題目からは目を逸らす。

彼らの内部で何が起こっていたか、解散の理由はなんなのか、彼らが今どう思っているのか、これからどうしたいと思っているのか、他にも色々。憶測で語られたことなんて全てまやかしでしかない。彼らの語る言葉が全てで、語られないのなら私が考えられることはほとんど何もない。彼らは解散した。その事実だけがあれば十分だ。

再結成、という言葉にも特に心動かされなかった。中学時代に二つのバンドの解散を見てきた私にとって、それがどんなに困難なことかは知っていたからだ。再結成を”望む”なんてことは私にはできない。彼らが”望んでいる”と名言し、それを発信しない限りは。そしてその時というのは、おそらくはこれから長い時間訪れないだろうとも思っている。もしかしたら、永遠に。

彼らは解散した。私はもう彼らを揃ってステージの上で見れなくなった。彼の歌声が聞けなくなった。彼のダンスを見れなくなった。五人の話し声が聞けなくなった。もう広いドームで、大声で好きな人の名前を叫ぶことはできなくなった。

ただ、それだけだ。

その事実を受け止めることしか、私にできることはない。

 

さて、なんでこんな話をあけすけにブログに書き連ねているかといえば、つい最近、大好きな彼が事務所から退所したからだ。

あっさりさっぱりとした最後で、まあ彼らしいなとも思った。ほんの少しだけ寂しい気持ちもあるが、テレビで彼の姿が見れなくなるわけではないし、退所したからといって何かが変わるわけでもない。むしろ、今まで残っていたのが不思議なくらいだ。

最後にホームページに公開された彼の最後のメッセージを見終わって、私はようやく(ああもう彼の歌う姿も踊る姿も見れないんだなあ)と思って少しだけ悲しかった。まあこれから先のことなんて分からないけど、おそらくはよっぽどの何かが無い限りは彼がステージで歌って踊る姿を見ることは分ないだろう。

不満は別に無い。もう、私は彼が生きて、その姿を見せてくれるだけで十分だとすら思う。私たちの預かり知らぬところだろうがなんだろうがなんでもいいから、幸せであってくれればいいと思う。自分を愛して日常を送ってくれればそれでいい。それは人生においてとんでもなく難しいことだからこそ、そうであって欲しいと思う。

ただ、私はこれからも死ぬまで言い続けるだろうなと思うことがある。

私はあなたが好きだ。あなたのの掠れた甘い硝子細工のような歌声が、小柄な体躯からは想像できないほどの迫力のあるダンスが、 とあるライブの最後の挨拶でメンバー最年少の汗を拭ってあげた時の滅多に見せない柔らかな笑顔が、真摯なところ、隠すところ、遠回しに誠実なところ、曖昧なところ、他にも色々、全部。

あの日、肉眼でステージの上で貴方という命が輝いている姿を初めて見た日からずっと、私はあなたが好きだ。

これからも多分ずっとあなたが好きだ。あの日ステージに立ってくれていた、私に名前を叫ぶ機会をくれた、あなたが好きだ。ずっと好きだ。いつまでも好きだ。

これから先もずっと。ずっと好きだ。

ずっとずっと、好きだ。

それだけです。

 

 

※オタク特有の支離滅裂な思考、言動、語彙力の低下。