好きなことだけたくさん

※当ブログは、不明確な出典、曖昧な記憶、ただのパッションに基づいて作成されています。

就職活動に失敗してSMボンテージバーに行った話

 

 

ギイギイと縄が鳴っている。

私はバーカウンターの正面で宙ぶらりんにされたまま、右に回ったり左に回ったりしながら揺れていた。周りには、ボンテージを着た男のお姉さんや3分の2以上おっぱいが出てるお姉さんなんかが、鞭を持ってニコニコ笑って立っている

「わーたのし〜」

「でしょう?」

腕をひとまとめにされて、片足を高く釣り上げられながら私がいうと、お姉さんがふふふと笑った。

なんでこんなことになってるんだっけ。お酒に酔って、楽しくなって、お姉さんが優しくて、おじさんが奢ってくれて、私はここにいる。

「これ、痛くない鞭だから」

そう前置きを入れて振り上げられた鞭はナインテールと呼ばれるもので、その名の通り持ち手から九つある平たい尾がぶら下がっている。叩くときに衝撃が分散される上に、素材が上質なシルク素材でできているから、どちらかと言えば撫でられているような感覚だった。

「痛くないでしょ?」

「痛くないです〜」

もっとすごいのはカウンターにあった。ワニの皮でできた硬くて鋭い鞭で、一度叩けば肌が破ける。

天井からぶら下がって、撫でるように鞭で叩かれた。お姉さんも私も本気ではない、お遊びである。ケラケラ笑いながら、私はされるがままに大きく左右に揺れたりくるくる回ったりしていた。

なんでこんなことになってるんだっけ。

話は簡単なことだ。緊縛ショーを友達と観に行った帰り、写真家の人に被写体にならないかと誘われた。人のいない新宿のゴールデン街でいくつか洒落た写真を撮られたあとに、いいところに連れて行ってあげると言われてたどり着いたのが新宿二丁目の緊縛SMバーだ。

真っ赤な照明に狭い店内。壁には黒い様々な禍々しい形をした仮面が装飾されていて、その仮面の作者だというおじさんがバーの片隅でウィスキーを飲んんでいた。

私は生まれて初めてゲージから出てきたばかりの子猫状態で身を固くしながらカウンターにちんまりと座っていたのだが、濃紺のコルセットでぐいとくびれを締め上げたお姉さんが「こういうの興味ある?」と言って何本か鞭を持ってきたのがいけなかった。

平たく言えば興味があった。なんならそのお姉さんが拷問博物館の話をしてくれて、意気投合したのもある。「やってみる?」と聞かれた言葉に目を輝かせて「やってみる」と答えてしまったのだった。

 

学校にも行かずにこんなところにいるのは訳がある。

就職活動に失敗したのは、春先のことだった。

面接がどうしても苦手だったが、しばらくは騙し騙し行なっていた。演劇サークルの頃の経験もあり、自分で役割を決めて演じるのは得意だったから、喋ろうと思えばなんでも喋れた。

それなのに、ある会社を受けた時に何かが自分の奥底でぷつりと切れるのを感じた。今までならスラスラと喋れていたはずの志望動機も、何もかもが真っ白になり、私は黙りこくって俯いたまま何も言えなくなった。呼吸が早くなり、動悸がして、冷や汗が流れた。なぜか面接用の小さな部屋が、小学校の頃のコンピュータールームと重なる。私は、小学校の頃そのコンピュータールームで何度も担任から叱責を受けた。出来損ない。頭が悪い。何をしてもだめ。特徴がない。その目はなんだ、その顔はなんだ、気持ち悪い。担任が私に投げかけた言葉は、今でも私が何かをしようとするたびに頭に反響のようにガンガンと響く。やがて声は担任の声ではなく私の声になった。出来損ない。気持ち悪い。何をしてもだめ。だめ。だめ。

私はもう何を話していたのかも分からなくなり、全身を震わせながらしどろもどろで話した。面接官の人が面接の後に一本ミネラルウォーターをくれた。大丈夫よ、ちょっと緊張しちゃったのね。まだこれからよ。大丈夫。そんな風に言われて差し出されたミネラルウォータを飲みながら、最寄駅でベンチに座り何時間もぼーっとしていた。まだ肌寒い四月のことだった。まだこれから、そんな言葉が私を深く絶望された。“これから”がこれから先何度私の前に訪れるのだろう?

もともと、自信なんてものは母親のお腹の中に置いてきていて、なるべく人様に迷惑をかけないように生きるのが私の信条だったのだ。面接で黙り込んでしまう私は人様に多大な迷惑をかけているに違いない。面接官の人の笑顔が忘れられなかった。

その後泣きながら帰って、そのままポッキリ折れて立ち直れなくなった。朝日が眩しくて泣いて、テレビがうるさくて泣いて、食べたサンドイッチに玉ねぎが入っていただけで午後ずうっと泣いていた。

そんな状態で、それ以上就職活動をまともに行えるはずもなく、周囲の大学四年生がスーツを着て勇んで電車に乗り、スラスラと面接官の質問に答えている間、私はずーっと部屋で布団を被って、泣いてみたり、本を読んでみたり、タバコを吸ってみたりしていたのである。太宰治の言葉がここまで沁みた時もなかっただろう。彼はメンヘラのカリスマだ。

けれど、絶望というのは決して永遠に遊んでいられるおもちゃではないらしく、だんだんと絶望するのに飽きてくる。泣き止むと、暇になる。眠って起きて本を読んで絶望とか希望とかにぐちゃぐちゃになって泣いて泣き止んだりしていると、だんだんと「なんだ、私ひまじゃん」と思えてくるのだ。その頃には就職活動の再開なんて考えてもいなかったし、就職をせずに貯金が底をついて生活保護を受けながらダンボールにくるまって暮らす毎日を想像するのにも飽きていたた。っていうか家あるし。

そんな時に、友人から誘われたのが緊縛ショーだった。久々に思い切りお洒落をして行った緊縛ショーでカメラマンにナンパされて、どうせいずれダンボール生活になるのだからと自暴自棄な気持ちで付いて行った先のSMバーである。

 

「M男相手にはね、もっと厳しく行くんだけど、可愛い女の子だから優しくしちゃう」

吊るされたカモ状態の私をおっぱい丸出しのお姉さんが抱きしめると、いい匂いがした。おっぱいも、お尻も、全然下品じゃなく思えた。ただそこにあるだけだ。彼女たちが女や男であることは自然なことで、むしろ男や女という言葉自体がとてもセンスがない。人間におっぱいがあって、お尻がある。それだけだった。それだけであることがとても美しかった。

軽く数度撫でるように鞭で叩かれて、干物のような状態から地面に降ろされた。可愛い、とか、綺麗、とか私よりよっぽど綺麗なボンテージファッションのお姉さんたちにちやほやされる。

後ろから抱きしめられて、胸元の縄をほどきながら耳元で聞かれた。

「恋人いるの?」

「いないです」

「好きな人は?」

「いたけど、もういなくなっちゃいました。」

「ああ〜、そうなの。」

労わるようにぎゅっと抱きしめられる。あ、もういいです。就職活動とか、お金とか、ダンボール生活とか。彼女に抱きしめられている間はもう何もかもどうでも良いです。そんな風に思えた。私は女体の前に無力である。

 

「これから楽しいよ。大丈夫。」

 

縛られるだけ縛られてチャージの制限時間が来てしまったため、これ以上払うお金もなく帰ろうとした私に、おっぱいを3分の2丸出しにしたお姉さんが笑顔で言ってくれた。私の今の現状なんて何も知らないはずなのに、「これから」と無責任な未来を彼女はなんでもないことのように口にして、確信をポンと私に投げてよこした。私はそれを受け取りながら、バーを後にした。

“これから”が私の前に何度やってくるだろうか。それは途方も無い回数、何度も何度も、私のところにやってくるに違いない。けれど、ボンテージファッションの綺麗なお姉さんから投げかけられた“これから”は、面接官の女の人がくれた“これから”よりもよっぽど無責任で、曖昧で、多分そのこれからで私はなんでもできるんだろう。なぜか気持ちが軽くなった。縛られていたはずなのに、縛られていた縄をゆっくり解かれたような気がしていた。

これから楽しくって大丈夫って言うんなら、そうなのだろう。それでいいや。それがいいや。

私はもう、帰り道で泣くことはなくなっていた。